今日もお客様進水式でパドリング練習でした!お盆最終日、楽しく漕げました!
っていうようなカヤック関係の写真は、今後なるべくリアルタイムで流行の?「インスタグラム」っていうやつに載せていこうかと思っています!(まだ使い方がよくわかってませんがー!)
ということで、今日はいよいよ「閉鎖予定の昔のブログからの転載」ネタもラスト。この記事アップと共に、旧ブログも閉鎖しました・・・(少しさみしさもありますが!)
ホエールの大学時代の友人「F」の伝説、最終話です!!
20年前の大学生時代・・・あの頃、僕らに失うものはなかった!!そんな生活の記録です。
「カヤックフィッシング」で検索して来ていただいた皆さん、本当にスイマセン!!
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永遠かと思われる長い夏休みにも必ず終わりがくるように、僕らの長い大学生活も終わってから振り返れば“あっ!という間”であった。
月日は百代の過客にして、 行きかふ年もまた旅人なり。
光陰矢の如し。ただ春の夜の夢の如し……………ってか。
楽しい時間ほど過ぎるのが早いが、大学生の4年間は本当にいろいろな貴重な経験をさせてもらった。
試験、レポート、卒業論文、様々なバイト、サークル運営、恋愛、ナンパ、究極の貧乏、ゴキブリとの戦い、多くの友達との出会い、別れ、喧嘩、熱い友情。週3日以上の釣り。
これから定年といわれる年齢まで果てしなく続くであろう社会人生活の前に、4年間という自由を与えてもらった。
勉強よりも遊びが得意な大学生だったと思う。親不孝だと言われるかもしれないが、かけがえのない経験をさせてもらった大学へ行かせてもらった親には心から感謝したいと思う。この気持ちはきっと僕が死ぬまで変わらない。
そして、将来、もしも僕に子供ができたら、何をおいても大学にはいかせてあげたいなと思っている。
僕らもそれぞれ就職も決まり、僕は東京の西多摩地区へ、タツノリは名古屋へ、アンザーは神奈川へ、Sちゃんは千葉へ、N村は東京の武蔵野方面へとそれぞれ赴任した土地で新生活がスタートした。
この物語の主人公のFはというと、大学で通常の卒業単位より遙かに多くの単位を修めることで、目標だった職業になるための資格を見事に取得した。
Fは貧乏でグータラだっだけど、頭は良かった。要はやる気の問題だけだったのだ。
しかし、Fが目標にしている職業は人気があった。しかも門戸が狭い。
あのFが就職活動のために洋服の青山でリクルートスーツまで買ったというのに、雇ってくれる所は見つからなかった。コネクションが無いと就職はキツイと言われる職業だったから、そんな所にも原因があった。
そしてFは就職浪人に突入した。
相変わらず、風呂無しのあのマンションに住み続けるという。
そして、とりあえずはバイトで食っていくらしい。
僕ら就職組の方は、新生活が始まり、これまでの学生時代とのギャップに最初は毎日が苦難の連続だった。余裕が全くない。
しばらくして職場に慣れてくると、新しい人間関係ができ、新しい仲間や恋人との週末が始まった。
いやがおうにもだんだん大学時代の仲間とは疎遠になってくる。
僕は特に仲が良かったサークルのメンバー数人と学内ではタツノリぐらいしか連絡を取り合わなくなっていた。
(僕とタツノリは“釣り”というキーワードでずっとつながっていた)
僕の中でタツノリと並んで仲が良かったFはどうしているのか?
これは……不明だった。
何故ならば、Fは携帯を持っていなかったからだ。
向こうからの連絡を待つ以外に方法が無かったのだ。
そして、Fからの連絡は卒業して半年近くないままだった。
僕の方も新しい環境にいっぱいいっぱいで、正直な話、Fを思い出すことも少なくなってきていた。
そして、社会人一年目の夏が過ぎた……
秋の訪れを感じだしたある日、僕の携帯が鳴った。
公衆電話からだ。
「おおーワシや。元気しとるか?」
久しぶりのFからの電話。当たり前だけど声が変わってない!嬉しかった。
久しぶりに遊ぼうぜ!という話になり、さっそくその週の日曜日に渋谷で待ち合わせをした。
待ち合わせのモヤイ像、そこにはあの頃と変わらないFがいた。逆にちょっと変わったかもしれない僕は、Fに会えて安心できた。
あの頃と同じように渋谷から原宿まで歩き、そしてあの頃と同じように原宿から渋谷まで歩いて戻ってくる。
学生時代の僕らは歩ける範囲なら必ず歩いていた。
電車乗る金があればそれをジュース代に回す考え方が基本だった。
どっちが得なのか?は今思うと微妙である。
Fと古着屋を巡りながらそれぞれの現状について簡単に報告をしあった。
Fは相変わらず就職の目処がたたず、短期バイトで食いつないでいるそうだ。
渋谷の天丼屋でFに飯をおごった。
「お前はええの~仕事があって、車も持ってて、カノジョもおって、ワシにはな~んもないわ」
そう言われながらも、僕は給料がいいわけでもなく一人暮らしの生活費でいっぱいいっぱいの相変わらずの貧乏だったし、仕事はつらかった。羨ましいと言える生活をしているわけではなかった。
正直なハナシ、僕から見ると大学生の頃と変わらない自由な生活をしているFの方がずっと羨ましかった。
「隣の芝は青いって昔の人はよく言ったもんやな、人間は無いものねだりが得意な生きもんやな」
ここで僕は話題をそらした。
Fとあまり重い話題をしたくなかった。
僕は忙しい日々に疲れていて、Fとはあの頃と同じようにノータリンに一日をグダグダしていたかった。僕の勝手である。
なるべく笑える話にもっていって、ウインドショッピングしながら「あのビジュアル系みたいな服着たら?」「ワシにあれはないやろ~」みたいに冗談を言い合って爆笑して過ごし、夕方にはFとバイバイした。
「F、またな。身体には気を付けろよ」
「おう!また遊ぼうや」
………それが僕がFと交わした最後の言葉となった。
また僕は月曜日からの相変わらずの日常に戻った。そして、同じような日々が流れ、さらに数ヶ月が過ぎた。あれ以来、Fからは連絡が無い日々が続いていた。
ある日、タツノリから僕に連絡があった。
先日、N村からタツノリに電話があったらしい。
N村はFの家の近くを車で通ったので、久々に寄ってみたそうだ。
N村にはFから連絡がずっと無かったらしい。
そこでN村が目にしたのは……
Fの住んでいたO場マンションの場所にあった“空き地”だったそうだ。
O場マンションは取り壊されていた。
Fはいなくなってしまった。
F、お前は連絡もしないでどこ行ってしまったんだよ。
大人になると日々の速度はますます加速する。
一日が過ぎ、一週間が過ぎ、一ヶ月が過ぎていく。
子供の頃とは比較にならないスピードで時間が過ぎていく。
Fがいなくなってからまたさらに月日が流れた。
その頃には僕はもうすっかり仕事に慣れて、新しい人間関係の中で伸び伸びと過ごしていた。
しかし“O場マンション更地事件”の僕の心の傷跡は大きく、Fのことは気に掛かったままだった。
相変わらずFから連絡はないままだ。
そんなある日、名古屋のタツノリから連絡があった。
「驚くなよ!こないだFに会ったんだよ」
「ええ~っ!?」
どうして名古屋でFと会うわけ!?
聞けば、ある日いきなり公衆電話からタツノリに電話があったらしい。
なんと、O場マンションを立ち退きにあったFは、その後、名古屋で工場に勤めながら、その工場の寮のような所で一人暮らしをしているらしい。
タツノリがどんなに聞いても住所は教えてくれなかったそうだ。
名古屋の繁華街で待ち合わせして一緒にメシを食ったけど、元気そうだったということだ。
どんな事情があるかは知らないが、名古屋で普通に生活しているみたいだ。働きながら目標の仕事への就職を狙っているのかもしれない。
とにかく、元気そうで良かった!!!!
“O場マンション更地事件”以来の胸のつかえが取れて気分がスッキリ爽快になった。
しかし、それからすぐのことである。
2000年の9月。
中部地方が台風14号の影響により活発化した停滞前線による集中的な豪雨に見舞われた。
名古屋市周辺で多数の浸水被害が生じたほか、中部地方太平洋側の広い範囲で浸水、河道護岸の損壊、崖崩れ、土石流などによる災害が発生した。
タツノリから電話で連絡があった。
「名古屋はすごいことになってたんだぜ。うちの区は幸い平気だったけどさ、町じゅう水びたしだったよ。
それで……実は、Fから電話で連絡があって、Fが働いていた工場が浸水の被害にあって“倒産”したらしい。
久しぶりのFからの電話がそんな報告でさ。また落ち着いたら必ず電話しろとは言って切ったんだけど……」
その電話を最後に、今日現在までFからは誰にも連絡がないままだ。
今度こそ、Fは本当にいなくなってしまった。
F、今ごろお前はどうしてる。
お前はゴキブリ380匹に囲まれて平然と暮らしていた男だ。
タダでは起きないタイプだ。
目標としていた仕事に就いているか、それとも何か別の仕事で成功してると僕は思っているよ。
F、最後に渋谷で会った日、本当は何か僕に聞いて欲しい話があったんじゃないのか?
もしかしたら頼みごととかあったんじゃないのか?
僕の勝手で真面目な話をあまりしないような雰囲気にしてしまってごめんな。
就職してからも、何度もお前の家を訪ねる時間はあったのに、行かなくてごめんな。
F、僕の電話番号は変わってしまったけど、タツノリは学生時代と携帯の番号変わってないんだぜ。
タツノリに電話した頃は電話帳代わりになってたPHSも寿命だったはずだ。きっとみんなの電話番号どっかに写してるんだろう?
お前がいなくなってから15年・・・。
F、僕とタツノリは今でもお前からの電話を待っているんだ。
目を閉じれば鮮明に思い出せる。
3畳半のあの部屋で過ごした時間。
夏はTシャツの替えが必要なぐらいじっとりと暑かった。
セミの声がやけにうるさい部屋だったよな。
冬は部屋にいても足がしびれるぐらい寒かった。
O場マンションの入口は日当たりが悪くてエンジニアブーツで何度も滑りそうなった。
春は大学の森と公園の森の桜がよく見えた。
さすがのお前の部屋も窓を開けるといい匂いがしたし、何かいいことありそうな予感がした。
秋は紅葉がよく見えた。
そういえば、奮発して甘栗買って一緒に食ったこともあったな~
考えてみればいい部屋だったよ。
F、お前のおどけた表情。
F、お前の関西弁。
F、お前の切れのいいボケと乗りツッコミ。
F、お前の豪快な笑い声。
F、僕らが今でもお前をよく思い出すように、お前も僕らをたまには思い出してくれているかい?
~シリーズ・Fの伝説(完)~